イースタンユース(eastern outh)

メンバー

1968年7月17日生まれ。北海道帯広市出身。ギター、ボイス。
二宮曰くバンドのリーダー。「outside yoshino」名義でもソロ活動をしており、自主制作アルバム『bedside yoshino』も発売。
愛器はヤマハSG-1000。使用し始めたきっかけは日本製のギターであることと、スティッフ・リトル・フィンガーズの影響。

  • 田森篤哉(たもり あつや)

北海道礼文郡礼文町出身。ドラム。 
吉野とは同級生であり、幼馴染み。中学卒業後は家業の昆布採りを手伝う予定だったが、吉野から自分と同じ高校を受けろと説得され、あげく進学した高校も再び吉野から一緒に辞めようと説得されて中退。以後、ともにeastern youthのオリジナルメンバーとして活動。植木職人、火消しも兼業。

  • 二宮友和(にのみや ともかず)

愛媛県宇和島市出身。ベース、コーラス。
吉野曰くバンドの中心人物であり、バンドで立ち上げた事務所「裸足の音楽社」で経理を担当。1992年から「ひょうたん」というバンドでギター・ボーカルとしても活動していたが、ベース奥平の都合により2013年2月を以って解散。eastern youthの「夏の日の午後」という曲はひょうたんの前バンド名「夏の日の午后」が由来。この曲のレコーディングでは、ギターソロは吉野ではなく二宮が弾いている。eastern youthに加入した当初はベースを持っていなかったため、知人から借りたベースを使いライブを行なっていたが、後にそのベースを居酒屋に置き忘れ紛失。

活動
1988年北海道札幌市にて結成。前身は「スキャナーズ」というバンドで、ベースが三橋徹に交代したのを機に改名。当時はSKINS・Oiバンドで、バンド名表記もすべて大文字の「EASTERN YOUTH」だった。
上京に際して三橋が脱退、いったん吉野・田森の2人となるが、ギタリストを目指し上京していた二宮と知り合った吉野が「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と強引に勧誘し、二宮がベースで加入。

自主レーベル「坂本商店」を立ち上げ、精力的にライブを行い、1994年からは自主企画「極東最前線」を始める。またカーシヴ、アット・ザ・ドライヴインなどの北米ツアーに同行するなど、日本国外での活動も増えている。2003年秋のアメリカツアーでは、移動中にメンバーの乗っていた車が高速道路上で横転する事故を起こすも、機材が破損したのみでメンバーは軽傷で済んだ。

所属レコード会社はトイズファクトリーキングレコードを経て2012年現在はバップ。2005年より活動休止のfOULを残して坂本商店を離れ、自主レーベル「裸足の音楽社」を設立し活動。
2009年9月、ツアー期間中に吉野が心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受ける。一命は取りとめたもののツアーの残りの公演はキャンセル、吉野が復帰した2010年春に改めてツアーを行った。
2015年2月2日、二宮が6月6日をもって脱退すると表明。

ライブ
今月の名古屋クラブクアトロでのライブに参戦します。
十代の頃から好きでしたが、一度もライブに行った事が無かった。
ベースの二宮さんが脱退されるという事、音楽ライターの石井恵梨子さんが聞き手で、ギターの吉野寿のインタビュー記事を読んだ事が大きな要因で、初めてのライブへと突き動かされた。

[http://realsound.jp/2015/02/post-2407.html:新作『ボトムオブザワールド』インタビュー
eastern youth吉野寿が語る、“覚悟のアルバム”とバンドの今後「人生で最後の一枚との想いで作った」]

だったら「もう気ぃ遣わんぞ! おーし、ギター持ってこい、はいカウント! ガァァーーン! よぉーし!」と。そんな感じです。

「俺はあくまでギター弾いて生きてくからな、畜生、わかったか! ギター持ってこーい! はいカウントぉ!」っちゅう感じですね(笑)。それぐらいの開き直った感覚はある。

「怒ってるぞ!」って言うよりは「嫌なこったーい、言うことなんか聞くもんか、べろべろばぁー」みたいな。そういう感覚で生きたいですよね。

何度か読み直しているけど、「悲しみ」と「笑い」、「力強さ」と「脆さ」といったアンビバレントな感情や感覚が綯い交ぜになっていて、すげぇ、心に響いてくる。深くて、奥の方まで、染みこんでくる感じ。

まあ、つべこべ言わずに、ライブ(@愛知県名古屋市中区栄:名古屋クラブクアトロ)で暴れてきますっ!

メンバー

1968年7月17日生まれ。北海道帯広市出身。ギター、ボイス。
二宮曰くバンドのリーダー。「outside yoshino」名義でもソロ活動をしており、自主制作アルバム『bedside yoshino』も発売。
愛器はヤマハSG-1000。使用し始めたきっかけは日本製のギターであることと、スティッフ・リトル・フィンガーズの影響。

  • 田森篤哉(たもり あつや)

北海道礼文郡礼文町出身。ドラム。 
吉野とは同級生であり、幼馴染み。中学卒業後は家業の昆布採りを手伝う予定だったが、吉野から自分と同じ高校を受けろと説得され、あげく進学した高校も再び吉野から一緒に辞めようと説得されて中退。以後、ともにeastern youthのオリジナルメンバーとして活動。植木職人、火消しも兼業。

  • 二宮友和(にのみや ともかず)

愛媛県宇和島市出身。ベース、コーラス。
吉野曰くバンドの中心人物であり、バンドで立ち上げた事務所「裸足の音楽社」で経理を担当。1992年から「ひょうたん」というバンドでギター・ボーカルとしても活動していたが、ベース奥平の都合により2013年2月を以って解散。eastern youthの「夏の日の午後」という曲はひょうたんの前バンド名「夏の日の午后」が由来。この曲のレコーディングでは、ギターソロは吉野ではなく二宮が弾いている。eastern youthに加入した当初はベースを持っていなかったため、知人から借りたベースを使いライブを行なっていたが、後にそのベースを居酒屋に置き忘れ紛失。

活動
1988年北海道札幌市にて結成。前身は「スキャナーズ」というバンドで、ベースが三橋徹に交代したのを機に改名。当時はSKINS・Oiバンドで、バンド名表記もすべて大文字の「EASTERN YOUTH」だった。
上京に際して三橋が脱退、いったん吉野・田森の2人となるが、ギタリストを目指し上京していた二宮と知り合った吉野が「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と強引に勧誘し、二宮がベースで加入。

自主レーベル「坂本商店」を立ち上げ、精力的にライブを行い、1994年からは自主企画「極東最前線」を始める。またカーシヴ、アット・ザ・ドライヴインなどの北米ツアーに同行するなど、日本国外での活動も増えている。2003年秋のアメリカツアーでは、移動中にメンバーの乗っていた車が高速道路上で横転する事故を起こすも、機材が破損したのみでメンバーは軽傷で済んだ。

所属レコード会社はトイズファクトリーキングレコードを経て2012年現在はバップ。2005年より活動休止のfOULを残して坂本商店を離れ、自主レーベル「裸足の音楽社」を設立し活動。
2009年9月、ツアー期間中に吉野が心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受ける。一命は取りとめたもののツアーの残りの公演はキャンセル、吉野が復帰した2010年春に改めてツアーを行った。
2015年2月2日、二宮が6月6日をもって脱退すると表明。

ライブ
今月の名古屋クラブクアトロでのライブに参戦します。
十代の頃から好きでしたが、一度もライブに行った事が無かった。
ベースの二宮さんが脱退されるという事、音楽ライターの石井恵梨子さんが聞き手で、ギターの吉野寿のインタビュー記事を読んだ事が大きな要因で、初めてのライブへと突き動かされた。

[http://realsound.jp/2015/02/post-2407.html:新作『ボトムオブザワールド』インタビュー
eastern youth吉野寿が語る、“覚悟のアルバム”とバンドの今後「人生で最後の一枚との想いで作った」]

だったら「もう気ぃ遣わんぞ! おーし、ギター持ってこい、はいカウント! ガァァーーン! よぉーし!」と。そんな感じです。

「俺はあくまでギター弾いて生きてくからな、畜生、わかったか! ギター持ってこーい! はいカウントぉ!」っちゅう感じですね(笑)。それぐらいの開き直った感覚はある。

「怒ってるぞ!」って言うよりは「嫌なこったーい、言うことなんか聞くもんか、べろべろばぁー」みたいな。そういう感覚で生きたいですよね。

何度か読み直しているけど、「悲しみ」と「笑い」、「力強さ」と「脆さ」といったアンビバレントな感情や感覚が綯い交ぜになっていて、すげぇ、心に響いてくる。深くて、奥の方まで、染みこんでくる感じ。

まあ、つべこべ言わずに、ライブで暴れてきますっ!