甲本ヒロト(ラウンド・アバウト、ザ・コーツ、ザ・ブルーハーツ、ヒューストンズ、ザ・ハイロウズ・クロマニヨンズ)

甲本ヒロト(本名:甲本浩人、1963年 〜 )


ミュージシャン。身長174cm。既婚。俳優の甲本雅裕実弟
ラウンド・アバウト、ザ・コーツ、ザ・ブルーハーツ、ヒューストンズ、ザ・ハイロウズを経て、現在はザ・クロマニヨンズのボーカリスト
岡山大学教育学部附属小学校・岡山大学教育学部附属中学校を経て、岡山県立岡山操山高等学校(現:岡山県岡山操山中学校・高等学校)卒業。法政大学経済学部中退。

1985年、真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成。1987年、シングル「リンダリンダ」で、メジャーデビューした。1994年、ザ・ブルーハーツは活動休止。1995年、解散を発表。

ザ・ブルーハーツが活動休止中(実際には解散状態)の1995年、ソロアルバムを制作し、ジャケットデザインやレコーディングも完了していたが、前所属事務所との契約上のトラブルにより未発表に。

真島と共に有限会社ハッピーソングを設立。
1997年、真島と共同出資して機材倉庫を改装しアトミック・ブギー・スタジオに。
1995年、真島に誘われ↑THE HIGH-LOWS↓を結成。シングル「ミサイルマン」、アルバム『↑THE HIGH-LOWS↓』を同時発表。2005年、活動休止を発表。

2006年、ソロ・シングル「真夏のストレート/天国うまれ」発表。
ギターのみならず、ベースやドラムスなど、ほぼ全てのパートを一人で演奏。
2006年春、真島らとザ・クロマニヨンズを結成、7月23日を皮切りに大型ロックフェスの出演とツアーを敢行した。9月20日にシングル「タリホー」を発表。



偉大なパンクス。偉大なロックンローラー。以上!

真島昌利(ブレーカーズ・ブルーハーツ・ハイロウズ・クロマニヨンズ)


愛称は、「マーシー」。東京都小平市花小金井育ち。魚座。血液型はB型。既婚。

1962年 東京都日野市生まれ
1965年 池袋から花小金井に引っ越す。
1974年 ビートルズのレコードを聴き、ギターを始める。モーリスの1万円のフォークギターを購入。
1975年 秋葉原で初めてエレキギターグレコEG480 レスポール・モデル)を購入。
1976年 中学校の文化祭で演奏。
1980年 東京都立久留米西高等学校を卒業後、地元でTHE BREAKERSを結成。
1985年 THE BREAKERS解散。同時期にザ・コーツを解散していた甲本ヒロトTHE BLUE HEARTSを結成。
1987年 「リンダリンダ」でメジャー・デビュー。「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」などがヒット。
1989年 ソロ・デビュー。
1994年 同年までに、計4作のソロ・アルバムを発表。
1995年 THE BLUE HEARTSの解散後。甲本と新たに↑THE HIGH-LOWS↓を結成。
2005年 ↑THE HIGH-LOWS↓の活動休止を発表。その後、甲本のソロ・シングル製作に参加。
2006年、再び甲本と共に、ザ・クロマニヨンズを結成。



奥田民生とともに、レスポールタイプのギターを使いこなす真島昌利。ギタープレイも、その楽曲も、その歌詞も、多大なる感銘を受けた。小学生の時に気がついたら聴いていた。

毎日のように聴いて、友達にも勧めたり、歌詞を習字で書いたりと、影響を受けまくり。
自然と、ギターリストという人物たちやギターという楽器にも興味を持ち始める。

後年には、さらに、深く入り込んで、真島昌利が影響を受けたとされる人物の文献や文学作品を読み漁る。
中原中也萩原朔太郎バージニア・ウルフ、アレン・ギンズバーグなどなど。

自分の人生を大きく左右させた偉大なる人物。

イースタンユース(eastern outh)

メンバー

1968年7月17日生まれ。北海道帯広市出身。ギター、ボイス。
二宮曰くバンドのリーダー。「outside yoshino」名義でもソロ活動をしており、自主制作アルバム『bedside yoshino』も発売。
愛器はヤマハSG-1000。使用し始めたきっかけは日本製のギターであることと、スティッフ・リトル・フィンガーズの影響。

  • 田森篤哉(たもり あつや)

北海道礼文郡礼文町出身。ドラム。 
吉野とは同級生であり、幼馴染み。中学卒業後は家業の昆布採りを手伝う予定だったが、吉野から自分と同じ高校を受けろと説得され、あげく進学した高校も再び吉野から一緒に辞めようと説得されて中退。以後、ともにeastern youthのオリジナルメンバーとして活動。植木職人、火消しも兼業。

  • 二宮友和(にのみや ともかず)

愛媛県宇和島市出身。ベース、コーラス。
吉野曰くバンドの中心人物であり、バンドで立ち上げた事務所「裸足の音楽社」で経理を担当。1992年から「ひょうたん」というバンドでギター・ボーカルとしても活動していたが、ベース奥平の都合により2013年2月を以って解散。eastern youthの「夏の日の午後」という曲はひょうたんの前バンド名「夏の日の午后」が由来。この曲のレコーディングでは、ギターソロは吉野ではなく二宮が弾いている。eastern youthに加入した当初はベースを持っていなかったため、知人から借りたベースを使いライブを行なっていたが、後にそのベースを居酒屋に置き忘れ紛失。

活動
1988年北海道札幌市にて結成。前身は「スキャナーズ」というバンドで、ベースが三橋徹に交代したのを機に改名。当時はSKINS・Oiバンドで、バンド名表記もすべて大文字の「EASTERN YOUTH」だった。
上京に際して三橋が脱退、いったん吉野・田森の2人となるが、ギタリストを目指し上京していた二宮と知り合った吉野が「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と強引に勧誘し、二宮がベースで加入。

自主レーベル「坂本商店」を立ち上げ、精力的にライブを行い、1994年からは自主企画「極東最前線」を始める。またカーシヴ、アット・ザ・ドライヴインなどの北米ツアーに同行するなど、日本国外での活動も増えている。2003年秋のアメリカツアーでは、移動中にメンバーの乗っていた車が高速道路上で横転する事故を起こすも、機材が破損したのみでメンバーは軽傷で済んだ。

所属レコード会社はトイズファクトリーキングレコードを経て2012年現在はバップ。2005年より活動休止のfOULを残して坂本商店を離れ、自主レーベル「裸足の音楽社」を設立し活動。
2009年9月、ツアー期間中に吉野が心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受ける。一命は取りとめたもののツアーの残りの公演はキャンセル、吉野が復帰した2010年春に改めてツアーを行った。
2015年2月2日、二宮が6月6日をもって脱退すると表明。

ライブ
今月の名古屋クラブクアトロでのライブに参戦します。
十代の頃から好きでしたが、一度もライブに行った事が無かった。
ベースの二宮さんが脱退されるという事、音楽ライターの石井恵梨子さんが聞き手で、ギターの吉野寿のインタビュー記事を読んだ事が大きな要因で、初めてのライブへと突き動かされた。

[http://realsound.jp/2015/02/post-2407.html:新作『ボトムオブザワールド』インタビュー
eastern youth吉野寿が語る、“覚悟のアルバム”とバンドの今後「人生で最後の一枚との想いで作った」]

だったら「もう気ぃ遣わんぞ! おーし、ギター持ってこい、はいカウント! ガァァーーン! よぉーし!」と。そんな感じです。

「俺はあくまでギター弾いて生きてくからな、畜生、わかったか! ギター持ってこーい! はいカウントぉ!」っちゅう感じですね(笑)。それぐらいの開き直った感覚はある。

「怒ってるぞ!」って言うよりは「嫌なこったーい、言うことなんか聞くもんか、べろべろばぁー」みたいな。そういう感覚で生きたいですよね。

何度か読み直しているけど、「悲しみ」と「笑い」、「力強さ」と「脆さ」といったアンビバレントな感情や感覚が綯い交ぜになっていて、すげぇ、心に響いてくる。深くて、奥の方まで、染みこんでくる感じ。

まあ、つべこべ言わずに、ライブ(@愛知県名古屋市中区栄:名古屋クラブクアトロ)で暴れてきますっ!

メンバー

1968年7月17日生まれ。北海道帯広市出身。ギター、ボイス。
二宮曰くバンドのリーダー。「outside yoshino」名義でもソロ活動をしており、自主制作アルバム『bedside yoshino』も発売。
愛器はヤマハSG-1000。使用し始めたきっかけは日本製のギターであることと、スティッフ・リトル・フィンガーズの影響。

  • 田森篤哉(たもり あつや)

北海道礼文郡礼文町出身。ドラム。 
吉野とは同級生であり、幼馴染み。中学卒業後は家業の昆布採りを手伝う予定だったが、吉野から自分と同じ高校を受けろと説得され、あげく進学した高校も再び吉野から一緒に辞めようと説得されて中退。以後、ともにeastern youthのオリジナルメンバーとして活動。植木職人、火消しも兼業。

  • 二宮友和(にのみや ともかず)

愛媛県宇和島市出身。ベース、コーラス。
吉野曰くバンドの中心人物であり、バンドで立ち上げた事務所「裸足の音楽社」で経理を担当。1992年から「ひょうたん」というバンドでギター・ボーカルとしても活動していたが、ベース奥平の都合により2013年2月を以って解散。eastern youthの「夏の日の午後」という曲はひょうたんの前バンド名「夏の日の午后」が由来。この曲のレコーディングでは、ギターソロは吉野ではなく二宮が弾いている。eastern youthに加入した当初はベースを持っていなかったため、知人から借りたベースを使いライブを行なっていたが、後にそのベースを居酒屋に置き忘れ紛失。

活動
1988年北海道札幌市にて結成。前身は「スキャナーズ」というバンドで、ベースが三橋徹に交代したのを機に改名。当時はSKINS・Oiバンドで、バンド名表記もすべて大文字の「EASTERN YOUTH」だった。
上京に際して三橋が脱退、いったん吉野・田森の2人となるが、ギタリストを目指し上京していた二宮と知り合った吉野が「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と強引に勧誘し、二宮がベースで加入。

自主レーベル「坂本商店」を立ち上げ、精力的にライブを行い、1994年からは自主企画「極東最前線」を始める。またカーシヴ、アット・ザ・ドライヴインなどの北米ツアーに同行するなど、日本国外での活動も増えている。2003年秋のアメリカツアーでは、移動中にメンバーの乗っていた車が高速道路上で横転する事故を起こすも、機材が破損したのみでメンバーは軽傷で済んだ。

所属レコード会社はトイズファクトリーキングレコードを経て2012年現在はバップ。2005年より活動休止のfOULを残して坂本商店を離れ、自主レーベル「裸足の音楽社」を設立し活動。
2009年9月、ツアー期間中に吉野が心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受ける。一命は取りとめたもののツアーの残りの公演はキャンセル、吉野が復帰した2010年春に改めてツアーを行った。
2015年2月2日、二宮が6月6日をもって脱退すると表明。

ライブ
今月の名古屋クラブクアトロでのライブに参戦します。
十代の頃から好きでしたが、一度もライブに行った事が無かった。
ベースの二宮さんが脱退されるという事、音楽ライターの石井恵梨子さんが聞き手で、ギターの吉野寿のインタビュー記事を読んだ事が大きな要因で、初めてのライブへと突き動かされた。

[http://realsound.jp/2015/02/post-2407.html:新作『ボトムオブザワールド』インタビュー
eastern youth吉野寿が語る、“覚悟のアルバム”とバンドの今後「人生で最後の一枚との想いで作った」]

だったら「もう気ぃ遣わんぞ! おーし、ギター持ってこい、はいカウント! ガァァーーン! よぉーし!」と。そんな感じです。

「俺はあくまでギター弾いて生きてくからな、畜生、わかったか! ギター持ってこーい! はいカウントぉ!」っちゅう感じですね(笑)。それぐらいの開き直った感覚はある。

「怒ってるぞ!」って言うよりは「嫌なこったーい、言うことなんか聞くもんか、べろべろばぁー」みたいな。そういう感覚で生きたいですよね。

何度か読み直しているけど、「悲しみ」と「笑い」、「力強さ」と「脆さ」といったアンビバレントな感情や感覚が綯い交ぜになっていて、すげぇ、心に響いてくる。深くて、奥の方まで、染みこんでくる感じ。

まあ、つべこべ言わずに、ライブで暴れてきますっ!

クロマニヨンズ at 愛知県芸術劇場 2015.02.14

クロマニヨンズ

2015.02.14 at 愛知県芸術劇場
セットリスト

  1. 旅立ちはネアンデルタール
  2. 流行りのクルマ
  3. キスまでいける
  4. 犬の夢
  5. ドードードードー
  6. スパーク!
  7. 雷雨決行
  8. 孤独の化身
  9. 突撃ロック
  10. 紙飛行機
  11. 原始力自転車
  12. 東京ジョニー ギター
  13. ウォルターに一撃
  14. ダイナマイト・ブルース
  15. キラービー
  16. メガトンブルース
  17. B&K
  18. ルル
  19. ナンバーワン野郎

アンコール

  1. グリセリン・クイーン
  2. 底なしブルー
  3. クロマニヨン・ストンプ


ブルーハーツハイロウズ、もちろん、大好きで、昔から聴いていたが、一度もライブには行ったことが無かった。

今回、そろそろ、観に行くか!と何故か思い立ち、ライブに参戦!

クロマニヨンズ!のライブに、ワタクシ出現!


ロックンロールです!最高です!

パンクです!ヒーローです!

好きです!

ごめんなさい!

神様よりも!


といった感じでした。

自分もギターを弾いているので、マーシーの弾き方等、観察。

腕、手首の動きが、非常に綺麗で、洗練されてました。
きっと長年のライブで培ったものなのでしょうな〜。

あと、驚いたことが一つ。

ライブ中、めっちゃピックを投げるのね。
恐らく、そのライブで、20枚弱は、客席にビューン!と投げていた。

いつか、そのピックをゲットしたい。

そんなわけで、ライブTシャツを2枚を購入できたし、非常に、感動的なライブを楽しむことが出来ました。

おしまい。

ザ・クロマニヨンズ(THE CRO-MAGNONS)

ザ・クロマニヨンズTHE CRO-MAGNONS

甲本ヒロト真島昌利を中心に2006年7月に結成。
【メンバー】
甲本ヒロト(ヴォーカル)元:THE BLUE HEARTS↑THE HIGH-LOWS↓
真島昌利 (ギター)  元:THE BLUE HEARTS↑THE HIGH-LOWS↓
小林勝  (ベース)  nil、元SOY SAUCE SONIXSADS
桐田勝治 (ドラム)  Gargoyle

【概要】
2005年11月に活動休止を発表したTHE HIGH-LOWSの真島が甲本にバンド結成を持ちかける。

2人と仕事・プライベートでTHE BLUE HEARTS時代から親交のあるレコーディングエンジニアの川口聡の紹介により、小林・桐田が加わってザ・クロマニヨンズが結成。

2006年春にはアルバム・レコーディングを済ませる。

2006年4月5日、甲本と真島は、ローリング・ストーンズナゴヤドーム公演を観た後、名古屋のホテルでこの新しいバンドの名前を決めようと話し合う。

甲本が「クロマニヨンズ」というバンド名を提案。
すると、真島が「おぉう!」と唸って、ポケットから一枚のメモを取り出す。

メモを広げると『クロマニヨン』と書かれてあった。

この偶然により、バンド名が決定した。

2006年7月23日13時41分 ザ・クロマニヨンズ「出現」。

出現メンバーは甲本ヒロト真島昌利、小林勝、桐田勝治
同日、ライブフェスタ「FM802 MEET THE WORLD BEAT 2006」に出演。

これが初ライブで、この日まではバンド名のみが発表されており、メンバー等は公開されていなかった。

その後、全国各地の夏の音楽イベントにバンド名以外は公表せずに出演を発表。

ザ・クロマニヨンズ

ザ・クロマニヨンズTHE CRO-MAGNONS


甲本ヒロト真島昌利を中心に2006年7月に結成。
【メンバー】

【概要】
2005年11月に活動休止を発表したTHE HIGH-LOWSの真島が甲本にバンド結成を持ちかける。

2人と仕事・プライベートでTHE BLUE HEARTS時代から親交のあるレコーディングエンジニアの川口聡の紹介により、小林・桐田が加わってザ・クロマニヨンズが結成。

2006年春にはアルバム・レコーディングを済ませる。

2006年4月5日、甲本と真島は、ローリング・ストーンズナゴヤドーム公演を観た後、名古屋のホテルでこの新しいバンドの名前を決めようと話し合う。

甲本が「クロマニヨンズ」というバンド名を提案。
すると、真島が「おぉう!」と唸って、ポケットから一枚のメモを取り出す。

メモを広げると『クロマニヨン』と書かれてあった。

この偶然により、バンド名が決定した。

2006年7月23日13時41分 ザ・クロマニヨンズ「出現」。

出現メンバーは甲本ヒロト真島昌利、小林勝、桐田勝治
同日、ライブフェスタ「FM802 MEET THE WORLD BEAT 2006」に出演。

これが初ライブで、この日まではバンド名のみが発表されており、メンバー等は公開されていなかった。

その後、全国各地の夏の音楽イベントにバンド名以外は公表せずに出演を発表。



音楽雑誌で、「クロマニヨンズ」というバンド名の由来が書かれてあった時、

「さすがだな!この二人は!」

「最高だな!ヒロトマーシーは!」

と思ったのを今でも憶えている。

因みに、今度、初めて、ライブに参戦してきます。今からドキドキです。